チャネルアイランズの歴史
チャネルアイランズの歴史 2020年2月
1969年、アル・メリックと妻のテリーは、アルの両親から200ドルを借り、レジンとクロスを買い求め、カーピンテリアの自宅のガレージでチャネルアイランズサーフボードをスタートしました。
その後のことは皆さんもご存知のとおりです。この夏、チャネルアイランズサーフボードは創立50周年を迎えました。しかし、彼らはシャンパンのボトルを開けてお祝いしたり、盛大に自社の50周年記念広告を出したりはしませんでした。
「50年の歴史を誇りに思っていないわけではありません」と、チャネルアイランズサーフボードのリードシェイパー兼デザイナーであるブリット・メリック氏は語りました。「チャネルアイランズサーフボードが歩んできた50年を、私たちは心から誇りに思っています。ただ、私たちの物語はまだ続いていくと考えています。まだこの物語を終わらせたくはないのです。
CHANNEL ISLANDS SURFBOARDS BY AL MERRICK
カリフォルニア州リンコンにある有名なサーフスポットの1つ「インディケーター」が見下ろせる崖の上に、ブリット・メリックと私は立っていました。空には雲ひとつなく、きらめく青色のカーペットが、ブランド名の由来となったチャネル諸島国立公園に向かって広がっています。カモメが空高く舞い上がっていきました。
崖から見下ろしながら私は、ビーチから上ってくるチャネルアイランズサーフボードチームのライダーたちの姿を思い出していました。
1980年代、私は今では伝説となっているチャネルアイランズサーフボードチームのトレーニングに参加しました。当時はサーフチームのトレーニングは前例がないものでした。特に黒のウエットスーツとシンプルなシングルフィンでのフリースタイルのサーフィンが圧倒的な人気を誇っていたサンタバーバラ地区ではなおさら異例なことでした。アルは、私たちを新たなハイパフォーマンスサーフィンの時代へと導いてくれました。彼のデザインは、この新時代のサーフィンに大きく貢献することになります。アルがデザインしたサーフボードは、チャネルアイランズサーフボードのチームライダーの20の世界タイトル獲得を後押しし、その数はまだ増え続けています。今現在も、チャネルアイランズサーフボードは、世界をリードするサーフボードブランドであり続けています。ひとつのサーフボードメーカーが、数十年間変わらずにサーフボード業界を牽引し続けるのは稀なことです。
そしてさらに稀なのは、父親がシェイピングの主導権を自身の息子へと引き継いでいることです。
チャネルアイランズサーフボードでは、サーフボード作りの1つ1つの工程に愛が込められています。
「父から譲り受けたこと、それは、シェイピングは自己中心的なものではなく相手に尽くすことである、という精神です。目標は常にサーファーに仕え、彼らに多くの経験をしてもらうことにあります。大きなあごひげを生やし、父のアルと同じまっすぐな姿勢を貫く、長身でがっしりとしたブリットはそう話しました。
トム カレン
ケリー スレーター
「10代後半の頃はこんな風に感じていたのです。『プレーナーも使える。サーフォームの使い方もわかる。サンディングブロックの使い方も覚えた。ノーズのこの部分や、ここのこのテールフリップにはどのような手を加えたら良いのかもわかる』と。」とブリットは語りました。
私たちは、サーフボードが波に乗るための単なる遊び道具ではなく、もっとずっと大きな存在だという話もしました。
人生の最高の時期にはいつも素晴らしく乗りやすいサーフボードの存在があるという話を私がすると、ブリットはこう話してくれました。
娘が亡くなった直後、リンコンの小さな波で悲しみを癒していた時に乗ったサーフボードを生涯忘れることはない、と。

「そのボードに対しては、何か本当に深い感情があったのです。『このサーフボードは、波の高さが1フィートしかないリンコンで私にサーフィンをさせてくれている。
そして不思議な形で私を助け、私の魂を癒してくれている - この先の人生もずっとこのサーフボードを愛している!』 そのサーフボードが今現在、自宅の倉庫のどこに置いてあるかもすぐに言えます。
そう、私は人々にとってサーフボードが大きな意味を持つようになることがあることを知っています。だからこそ、こうしてサーフボード作りに人生を捧げることによって彼らの役に立つことが私にとってこの上ない喜びなのです。」
私はブリットにシェイピングで最も楽しんでいることは何かを尋ねてみました。
「サーフィンです。」彼は答えました。「私の父がシェイピングを始めたのはサーフィンを愛していたからです。それがサーフボードへの愛につながりました。私は心の底からサーフボードを愛していて、かなりサーフボードに取りつかれてしまっています。ロッカーのことを考えたり、フォイルが夢に出てきたり、いろいろな組み合わせを想像して、真夜中に目が覚めることがあるのです- 実は昨晩もそうだったのです。」
「すべてはロッカー次第です。」ブリットは言いました。「ロッカーは、間違いなくサーフボードの中で最も重要な部分です。」
ブリットは、父親のアルはロッカーを流体力学の観点から考えるよう手ほどきしてくれたと、私に語りました。
「父は、私の目も、私の手も、私の道具も、すべてが水にならなければならないと教えました。だから、父は必ず両手を使ってシェイピングをしていました。
一方の手で道具を操りながら、もう一方の手は水となってその道具が何をしているのかを感じ、道具の動きを確認していたのかもしれません。
目も、心も、水になれたら、水はどんな動きをしているのでしょうね。」
Channels Islands Surfboards Backyard
チャネルアイランズサーフボードは引き続き、地元での長年のサーフボード作りで培った伝統と文化だけではなく、カーピンテリアの彼らの工場で、私たちが楽しむサーフボードをシェイプし、ラミネートし、フィンカップをセットし、サンディングする技術を持ったたくさんの従業員とその家族を守ることに力を注いでいます。
材料の価格高騰とカリフォリニア州の規制強化による逆風の中で、ホームタウンのサンタバーバラでサーフボード作りを続けるのは簡単なことではありません。
でも、チャネルアイランズサーフボードにとっては、これが当たり前なのです。
アルさんの右隣りにいるのが現在の社長スコット、その隣はグローバルマネージャーのジョン
左に座るのはソフトグッズ担当のスコッティー
みんなが集まる前にアルさんと乾杯


